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冒頭。

雪が来る。

もうそこまできている。

あと十日もすれば北海から冬の雲がおし渡ってきて、

この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない。

(毎年のことだ)

まったく、毎年のことである。

あきもせず季節はくりかえしているし、人間も、

雪の下で生きるための習慣をくりかえしている。


(司馬遼太郎 峠)


―――


小説の冒頭。
読者がもっとも注目する部分ではないでしょうか。
いかに冒頭で読者を惹きつけるか。


久し振りに司馬遼太郎さんの作品が読みたくなり、
以前から気になっていた「峠」を読み始めました。
この季節にピッタリな冒頭ですよね。(笑)


札幌にももうすぐ雪が来る。
大雪山にはもう来ている。(`・ω・´)


季節の変わり目、久々に風邪を引きました。
皆さまも気を付けて下さいねーーー。(><)

ピース・チャイルド

ピース・チャイルドという本を読んだ。

旧オランダ領ニューギニア(現在はインドネシア)のジャングル奥地に住む、
人喰い人種であったサウィ族への宣教の記録です。
ドン・リチャードソンという宣教師が書いた本です。

以前、ある方のメッセージ(聖書のお話)の中で、
この本に関する内容が引用されたことがありました。
その方は時折涙を流しながら語られて・・・。
その涙がすごくインパクトがあって。
ずっと読みたいなーと思っていました。

イエス様がユダヤ人に福音を語った時、
ユダヤ人には既に福音を聞くベースがありました。
「メシヤ(救い主)がやがて現れる。」というベース。
でもジャングル奥地に住むサウィ族はそんな知識もなく、
人を裏切ること、しかも自分を信頼した人を裏切り、
そして殺し・・・食べるという風習。
それが悪いという考えがない。裏切ることが美徳。
どのように裏切るかを考えているような人たち。
そんな人たちにどのような切り口で福音を伝えていったのか。


・・・・。


言語、文化、習慣、土着宗教(魔術等)・・・多くの壁を乗り越えて、
サウィ族への伝道は成功しました。
現在までに部族の半数がクリスチャンになったそうです。
詳細は書きませんが、興味がある方は是非読んで見て下さい!
ただし、絶版です。
探してください。(笑)


 

宣教師は本当に楽ではない。
牧師も伝道師も楽ではないけど・・・。(^^;
サウィ族への伝道は成功したし、本も出版された。
だからある程度有名になっているけれど、
名も無き多くの宣教師たちが存在した。
その大半は何も成果を残すことができずに殉教していった。

「何も成果を残せず」

というのは違うかもしれないけど、
私たちが知りたいと思えるような成果は残せなかった。
でもそういう人たちの献身的な働きがあってこそ、
福音が全世界に広がったのだと思う。


※ピース・チャイルド

部族間で和平が結ばれる際に、新生児を交換する。
「和解の子(ピースチャイルド)」という風習。

私を祝福してくださらなければ。

教会学校「GPクラブ」の私の担当クラスでは、
毎週成長という教材を利用して聖書のお話をしています。
今日の箇所は「エサウとヤコブ」でした。
ちなみにこのエサウとヤコブは双子です。
父の名前はイサク。イサクの父はアブラハム!

成長を読んで勉強していたところ、
「推薦図書」というところに目が留まった。


遠藤嘉信著「私を祝福してくださらなければ」いのちのことば社


ヤコブの生涯を扱った連続講解説教集です。
遠藤先生の本は良い!!という噂を聞き、
先生の著書の中で私が初めて買って読んだ本です。
良いなんてもんじゃない。すごく良かった!!(←素晴らしかった。)
この本の副題は「荒削りの信仰者ヤコブの生涯」なのだけど、
ヤコブは偉大な信仰者とは言われるが、本当に荒削り!

長子の権利を横取りし、父を欺き、
子どもを偏愛し・・そんな欠点だらけの人間になされる、
「神のお取り扱い」を読む。(帯より。)


学ばされたところは数え切れないのですが、
その1点をシェアするなら・・・多分いろんな人にも話してますが。(笑)


神様はアブラハムと契約を結ばれた。
神様はイサクとも契約を結ばれた。
そしてヤコブとも契約を結ばれた。


アブラハム、イサク、ヤコブの神・・・という表現をよく見かける。
親の祝福が子どもに引き継がれていく。そういう約束がある。
でも神様は、それぞれとも直接に契約を結ばれた。
クリスチャンホームに育った者として、
自分の信仰なのか、親の信仰なのか、わからなくなる時がある。
小さい頃から教会に行き、イエス様を救い主として信じ。
それも悪くない。悪くはないけど・・・。
親の信仰ではなく、「私」と「神様」の個人的な関係をしっかりと築くことが大切なのだ!
クリスチャンホームで育った人は、
そこの辺りが、あやふやな人が多い。
私も含め。(汗)


・・・ということを、学ばされたのでした。
クリスチャンホームの人には是非読んでいただきたい。
でもこれ、もう売ってないんですよね。。。
誰かから借りて読んでください。(笑)

心を注ぎ出して。

今「心を注ぎ出して」という本を読んでいる。
旧約聖書に登場する聖徒6人の祈りの姿から、
「神と個人的に話し合う」本気の祈りを6人の聖徒に学ぶ(帯より)。
遠藤嘉信先生の連続講解説教集です。


第一部は「ハンナの祈り」をテーマに書かれています。

イスラエルにとって、サムエル記はとても重要な意味を持つ。
それはサウル王、ダビデ王が登場するという以上に、
イスラエル王国の建国もこの歴史書に書かれているからです。
ところが、この歴史書は、イスラエルの名もない1家族の話題から始まります。
エルカナ、そしてエルカナの二人の妻、ハンナとペニンナ。
ハンナは夫に愛されていたけれど、子どもが与えられなかった。
イスラエルの家庭にとって、子どもが与えられるかどうかということは、
今日よりももっと重要な問題でした。


「主が胎を閉じておられる」とハンナは知っていました。
信仰者として、神の摂理を受け入れようとしました。
しかしペニンナというもう一人の妻の存在が、ハンナを苦しめます。
何が正しいのかわかっている。
でも現実にある問題のゆえに、痛み、苦しむ。
どこにも行き場のないハンナは、本当の意味で神様の御前に出ました。


以下、本文から。


彼女の祈りは、神のみこころを知って、それを祈るというような、そんな理想的な祈りではありませんでした。自分の思いと願いのすべてを言い表して、とことん神と交わり、祈りのうちに自分の内なる思いと格闘しているのです。「心を注ぎ出して(Ⅰサムエル1章)」という表現は、まさに自分の魂を主の前に注ぎ出す、という意味です。彼女は本気で祈るのです。その祈りは今までの祈りとは違います。それは徹底的な祈りです。~(中略)~主に対して自分の思いの一切を注ぎ出して真剣勝負をするということでしょうか。ハンナは、自分の全生涯の中で、この緊張と痛みに押し出されて、この特別の瞬間、この厳粛な交わりに招かれていったのです。


ハンナは不思議な祈りをした。
子どもを与えて下さったら、その子を神様に捧げます、と。
与えて下さいと願っているのに、捧げると祈った。


・・・そして、神様はハンナの祈りを聞かれた。
そしてサムエルが生まれた。


 


心を注ぎ出して祈る。


なんと魅力的な表現だろう。
でも今の自分にとって一番足りない祈りだ。


心を注ぎ出して祈る。


祈る。


 


 


今日は私の誕生日でした。
何歳になったかは内緒です。(笑)
20歳+アルファと言いましょうか、永遠の17歳と言いましょうか。
聖書的には、イエス様が公生涯に入られた年齢。
パウロが回心した年齢。
ヨセフがエジプトの総理大臣になった年齢。


心を注ぎ出して祈る。


これからのテーマです。
もっと砕かれないとダメだな~(><)


 


facebookでもmixiでも誕生日を公開してないので、
誰からもお祝いメールは来ないだろうと思ってました。
でも何人かからお祝いメールを頂きました!!
少し曲がったことを書きますが、
クリスチャンは社交辞令で「祈っています」と言いますが、
本当に祈ってくれているのだなと感じた!!
嬉しかったです。
そういう方々のためにも、私ももっと祈りたいなって思った。
ありがとう!!


さあ、天を見上げなさい。

時々、星が良く見える日がある。

そんな日、夜空を見上げていると、
聖書のアブラハムの箇所がふと思い浮かぶ。
有名な、神様がアブラハムに語るシーン。


「さあ、天を見上げなさい。」


アブラハムもその日、夜空を見上げた。
アブラハムは信仰の父と呼ばれるけれど、
私たちと同じく、人間的な弱さがありました。
神様が「サラから約束の子どもが与えられる」と語った後にも、
自分の身を守るために、自分の妻を「妹」と偽ったことがある。
すごく弱い部分も、聖書は正直に書いている。
だから安心できるんですけどね。(笑)


アブラハムの信仰。

①信仰によって、アブラハムは・・・どこに行くのかを知らないで、
出て行きました。(ヘブル11:8)

②信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。(ヘブル11:17)


昨日、「さあ、天を見上げなさい」という本を読み終えた。
アブラハムの生涯を扱った、連続講解説教集です。
私の大好きな遠藤嘉信先生の説教をまとめた本です!


アブラハムの生涯について、一度しっかり読みたいと考えていました。
正直、少し難しかった(><)!
それでもわかりやすい表現で、それでいてすごく詳しく書かれていた。
ヘブル語の原文の意味からも解説がされてるし、
目からウロコの箇所も多かったです。
聖書を軽く読みすぎているなぁ、と反省させられます。。。
(普通に聖書を読むだけでも十分有益ですよ!)


さあ、天を見上げなさい。


さあ、天を見上げなさい・・・。


皆さんも、夜空を見上げながら、アブラハムを思ってみませんか?^^

翔ぶが如く

司馬遼太郎さんの「翔ぶが如く」という小説をご存知でしょうか。
大久保利通と西郷隆盛を中心に、明治初期の日本を描いています。
10巻からなる、長編小説です。
小説は2年ほど前に読みました。


この「翔ぶが如く」、実は1990年の大河ドラマにもなっています!!
時々、ゲオでDVDがレンタルされているのを見かけましたが、
札幌以外のお店だったり、家から遠いところだったりで、
借りることができず・・・ずっと見ることができませんでした!!(涙)


それが最近、近所のゲオの大河ドラマコーナーが充実した!!
この「翔ぶが如く」もレンタルされるようになりました。
DVDは13巻、全48話。
一度に見るのはさすがに無理なので、少しずつ・・・。
旧作100円、キャンペーンで80円も利用して・・・。


今日、見終わりました!!^^


大河ドラマを全て見たのって、何年か前の篤姫以来かも。


原作とはかなり違っていたけど、見ごたえがありました☆
(原作は明治から、大河ドラマは幕末から)


おじゃったもんせ~~!(お疲れ様)


じゃっとん!(しかし)


きばっくいやい!(気合を入れる、頑張れ)


方言が頭から離れない。


幼馴染であり、一番の理解者でもあった二人。
時代が時代なら、戦うこともなかっただろうに。


 

幕末、明治の人って、すごく熱い。
何をするにも、本気。
もちろん良い面も悪い面もあるけど。


 


見習いたいところだな~。

イエスは主。

眠れないので、書きます。


先日、ロイドジョンズ博士の「栄えに満ちた喜び」という本を読んだ。
副題は「聖霊のバプテスマとは何か」だ。
聖書が「聖霊のバプテスマ」について何と言っているのか、
ロイドジョンズ博士が熱く語っている。


ハンパなく、難しく感じた。
それでも考えさせられることが多々あったし、
多くのことに気づかされた。


その一つをシェア。


 

「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』
と言うことはできません」 コリント2 12章3節


この箇所を単純に理解していた。
御霊によるのでなければ、御霊の内住がないのであれば、
「イエスは主です」と告白できないのだから、
「イエスは主です」と告白できることは、
クリスチャンである証なのだ~~と。
ごくごく単純に、素直に、信じていた。
深くではないけれども、信じていた。


ロイドジョンズ博士の本によると、
「イエスは主です」と告白できても、クリスチャンではないことがある。
・・・・と書いていた。


聖書をあまりにも軽く読みすぎていた。


聖書が書かれた当時、この「イエスは主です。」という告白は、
現代に生きる私たちがする告白とは重みが違った。
初代教会のクリスチャンの多くが殉教したのは、
この「イエスは主です。」と告白したことが理由だった。
当時はローマ皇帝が「主」であった。
「イエスは主です」とは、命がけの告白だった。


以下、ロイドジョンズ博士の本の本文から引用。


「もし1世紀の古代世界で、『イエスは主です』とあなたが言えば、
それは殉教を意味した。
あなたがユダヤ人なら、家族からの追放、
家系からの名前の抹消を意味した。
『イエスは主です』と言う人は、その生涯を主に明け渡し、
教会に加わり、たびたび迫害に会い、嘲られ、誤解されるのである。
・・・・これは究極の告白である。
信仰を受け入れただけでなく、自分自身を委ね、
のしかかる自分の望みや恐れのすべてを主イエスに委ね、
自分の十字架を背負い、主に従うということなのである。」


聖書を簡単に読みすぎていた。


自分は果たして明け渡しているだろうか。


「イエスは主です。」


と、本気で告白できる歩みをしているだろうか。


 


考えさせられた。

ヨセフの見た夢。

天地創造から始まる創世記50章の中で、
37~50章の後半部分にヨセフの生涯が描かれている。
父ヤコブに溺愛され、兄達に激しく嫉妬され、憎まれ。
兄達に奴隷として売り飛ばされ。
誠実に仕えていた主人から、無実の罪で牢獄に入れられ・・・。
そして最後はエジプトの総理大臣となったヨセフ。


遠藤嘉信先生の著書の中に「ヨセフの見た夢」という本がある。
この本はヨセフの生涯を扱った連続講解説教集だ。
普段何気なく読むだけでは気づけない聖書の奥深さに、
先生の著書を通して何度も気づかされる。


今日はその一部を紹介します。
長いですが、創世記41章の箇所からです。


 


 「さて、ヨセフ物語の41章の冒頭の『それから二年の後』という書き出しに目を留めていただきたいと思います。ヨセフは、兄弟たちによってエジプトに売られてきました。初めエジプトでとても親切なポティファルという主人に奴隷として雇われました。

 神がヨセフとともにおられたと、聖書は何度も繰り返します。ところが、彼はポティファルの奥さんの怒りに触れて監獄に入れられてしまいます。状況はますます悪くなっていきます。兄弟たちにいじめられ、傷つけられ、家族から引き離され、しかも見知らぬ地で誠実に生きた結果誤解され、今度は監獄生活です。
ただ不思議なことに、そうなっても聖書の記者は、『主は彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださった』と主張し続けます。

 やがて、エジプトの王のパロのもとで働いていた献酌官と調理官が同じ牢にやってきます。ある意味でヨセフに出所のチャンスが来たかのように見えました。献酌官がパロのもとに復職することがわかりました。ヨセフは必死になって自分の無実を訴え、パロの権威によって牢獄から出してもらいたいと嘆願します。献酌官には、ヨセフの真実と誠実さが確かに伝わったはずです。ところが、彼は、自分が出所できた喜びと新しい責任への緊張からでしょうか、ヨセフのことをすっかり忘れてしまいます。ヨセフには大きな期待がありました。これ以外に脱出の可能性がないと思ったでしょう。手に入れることのできる自由が目の前にあると感じました。しかし、その後何の音沙汰もないのです。

 そして、聖書は『それから二年の後」と、淡々と、何の解釈もつけずに語り始めるのです。ヨセフにとってこの二年間は、それまでの十年以上のエジプトでの歩みよりももっと長く感じられたことと思います。

 この『二年間』は何のための二年間だったのでしょうか。聖書は何も語りません。しかし、神の御手の中で許されたそういう時の経過が実際の私たちの歩みの中にもあります。そうした時の経過にも、たとえ生涯その意味を知ることがないとしても、必ず主のご目的があります。隠された神の知恵があるということです。」

遠藤嘉信著「ヨセフの見た夢」(41章)より


 


最近ふと、ヨセフの生涯を考える。

「それから二年の後」

聖書は事実を淡々と書く。そこに感情が入らない。
クリスチャンホーム育ちの自分としては、
どうしても結末を知って読む癖があって、
「最後は総理大臣だから♪」と楽観的に読んでしまう。
でも聖書をリアリティーをもって読むとするなら、
このヨセフの生涯はとても耐えられるものではない。
主が彼とともにおられたのに、なぜ・・・?!
その箇所その箇所では、理解できない。
ヨセフも人間だし、同じように感情を持っていた。
どれだけ苦しい中を通らされただろう。
牢獄から出ることができる、そういう希望が、
ようやく手にすることができるはずだった自由が、
何日待っても音沙汰なく、二年間過ぎることになる。

「それから二年の後」

と、聖書は書く。
ヨセフにとってどれだけ苦しい時だっただろう。
誰からも見放されたような気持ちだっただろう。
でも・・・この二年間の中にあっても、
間違いなく、絶対に、「主は彼とともにおられ」た。


 


そしてこの神さまは、どのような状況の中にあっても、
ヨセフとともにおられたように、私たちともともにいて下さる。
何も変化がなく、見放されたように思える時がある。
でもそのように思える時であったとしても、
主は私たちとともにいて下さる!!

 


うまくまとめられないけど。


 


「それから二年の後」


「主は彼とともにおられ」


 


この聖書のフレーズが頭から離れない!!
神さまの摂理の大きさに、圧倒されそうだ!!

おもしろき。

日本史の中で、特に幕末が好きです。


幕末の英雄、高杉晋作。


以前から“高杉晋作”関連の小説を読みたいと思っていた。
インターネットの評判等を参考にしつつ、
池宮彰一郎氏の「高杉晋作(上下2巻)」を選んだ。
そして数日前から読み始め、今日一気に読み終わりました!!


幕末には様々な“偉人・英雄”が登場しました。
有名なところだと、昨年の大河ドラマにもなった坂本龍馬とか。
個人的には大久保利通も大好きです。(大久保は英雄ではないかもなぁ・・。)
西郷隆盛なんかも有名ですよね。


しかし。


高杉晋作はまさに英雄。
詳しく書くとマニアックになってしまうので控えますが・・・^^;


亡くなる1年ほど前に詠んだとされる句。
(死ぬ直前にも再度詠んだ。)


 


おもしろき

こともなき世を

おもしろく


 


日本史の中で幕末期は最高に面白い。
しかし彼は「おもしろき こともなき世を」と詠った。
小説の中でも触れられているけど、
彼らにとって「幕末」は「歴史」でも何でもなかった。
仲間が、親友が、師匠が、次々と殺されていく、死んでいく。
その時代の中を必死に生きていた。
でもそんな時代を「おもしろく」するのは自分であると詠んだ。


京都東山に坂本龍馬のお墓がある。
その横には中岡慎太郎のお墓もある。
その背後には、幕末期に命を落とした人々(1000人以上?)のお墓がある。
国を動かすために、多くの人の命が必要とされた。


幕末~明治をテーマにした小説を読むと、
ふと今の自分と比較してしまう。
熱さがない。
時代もあるかもしれない。
昭和と平成、そして今では大分違うだろう。
でも考えてしまう。


こんなに物事を熱く考えているだろうか!!


熱くなりたいな~ヽ(`Д´)ノ

翔ぶが如く

坂の上の雲、を読み終わったと数日前の日誌に書きましたが、
次に何を読もうか考え・・ちょっぴし悩みました。
「聖書」は当然読むものですし(笑)、違う本を探していました。
探していた、というと語弊があるのですが。
読みたい本はあったんですが、長い作品ですし・・・。
読み終える時間があるかわからなかったんですよね(><)


翔ぶが如く


という、大河ドラマにもなった司馬遼太郎さんの作品です。
大久保利通、西郷隆盛が登場します。
幕末が大好きな自分としては、その後の活躍も知りたい!!
この「翔ぶが如く」は明治維新後のお話です。
征韓論から始まり、西南戦争に終わります。
(正確には紀尾井坂の変で終わります)
全10巻!!
4月11日から関西の方に長期間行く予定があり、
行ってからは読む時間もそんなにないので・・・悩みました。
悩みましたが、読み始めました(笑)
今日現在、2巻を読み終わったところですv( ̄Д ̄)v
2~3日で1巻ペースなので、10日までには読み終わらなさそうです(笑)
他にも準備があるし・・・長期戦になりそうですが、
内容も自分ピッタリなので楽しみながらノンビリ読みたいと思います。


徒然。

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