ビジョン
幻がなければ、民はほしいままにふるまう。
しかし律法を守る者は幸いである。
箴言29章18節
先日学ばされたことを、自分のために書いておきます。
クリスチャン、特に熱心な方であればあるほど、
「ビジョン」という言葉を使うことが多くないでしょうか。
「啓示」とか「夢」とか「幻」とか「ビジョン」とか。
「語られた」とか。様々な表現があります。
上に書かれた箴言の聖句から、ビジョンを掲げる教会が増えたそうです。
ある時期、「ビジョン」という言葉が流行った時期もあるとか。
しかしこの「ビジョン」という言葉が聖書から切り離されて一人歩きし、
自分勝手に思い描いていることを神様からの「ビジョン」だと思い込む。
でもその「ビジョン」を描くことができても達成できないことから、
燃え尽きてしまうリーダーが増えてしまった・・と、
最近読んだ本の中に書かれてありました。
「幻」という聖書の言葉には、原文の意味用法から見ると、
未来の展望という意味で使われている箇所はないそうです。
上の箴言の聖句も「律法(=聖書)」が大切だと書いています。
それ、本当に神様からのビジョンなの?
と疑問に思ってしまうようなビジョンを掲げている方、
意外と多くありませんか?(^^;
それが本当に神様からのモノなのか、自分自身から出ているモノなのか、
一度立ち止まって、祈りつつ・・・考えて見る必要があるなと考えさせられました。